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運よくチケットがもらえ、車椅子テニスを観戦に行きました。車椅子テニスのルールはコートの広さや得点方法は通常のテニスと一緒ですが、2バウンドしたボールまで打ち返せるというところだけが違います。テニス会場はスタンド付きで試合のできるコートが10面ほどあり、男女のシングルスやダブルスが、各コートに分かれて行われていました。私が最初に向かったのは一番大きくて屋根のあるセンターコートで、ちょうど女子シングルスでアメリカ対ベルギーの選手の勝負でした。
アメリカの選手はベテランで落ち着きがあり、淡々とプレーをしていましたが、ベルギーの選手は若くてとても逞しく、気迫を表に出してパワフルにボールを打っていました。車椅子テニス専用の車椅子は前後にも小さなキャスターがあり、相当大きな力でラケットを振り回しても、倒れないような設計でしたが、ベルギーの選手はその中でも車椅子から飛び出るくらいにパワフルなスイングをしていました。
試合は第一セットをベルギーの選手が簡単に取りましたが、次のセットはアメリカの選手が作戦を変えてきたようで、セットを奪い返し、フルセットに入りました。最終セットに入るとベルギーの選手がミスするたびに、自分のプレーに納得がいかないようで少し落ち着きがなくなってきました。すると、アメリカの選手が軽い返球で相手を翻弄するようなプレーを見せはじめ、完全にペースをつかみ、勝利しました。傍目から見ると、ベルギーの選手の方が実力はあるように思えましたが、ベテランの落ち着いたプレーの前に新鋭が倒れるという形になりました。この二人の勝負はとてもレベルの高い心理戦のように思えました。
外のコートに出ると、ちょうど日本選手のダブルスの試合をやっていて応援することができました。
藤本選手と池の谷選手のペアが、ブラジルペアを2対1で下し、勝ち進みましたが、間近に見る二人のプレーは迫力があり、普通に私が対戦しても勝ち目はないと思いました。応援団とコーチの皆さんの笑顔が印象的でした。
センターコートに戻ると、男子ダブルス、アメリカ対地元中国でした。スタンドにはおなじみになった「中国、加油。応援団」がそろいの黄色いシャツに身を包み「中国!加油!!」の掛け声を飛ばし入場を待ちました。すると大歓声の中入場してきたアメリカの選手が中国の旗を振り、ボールをスタンドに2つ3つ打ち込みました。そのパフォーマンスにスタンドはさらに盛り上がりました。私はアメリカの選手の「中国!加油!応援団」に対するパフォーマンスをとても大人の対応だと感じました。彼らは過去の2回のパラリンピックでメダルを取っているベテランで、対する中国ペアは初出場ですが若く、相当練習を積んで来ている強豪です。アメリカペアは地元の応援がすごいことは十分解っています。そんな雰囲気の中でのこのパフォーマンスは、地元中国への応援を嫌がるのではなく、彼らの応援も自分達への見方にもしようというプラス思考の余裕が感じられ、「皆さんありがとう」「この試合を一緒に楽しもうじゃありませんか。」という強いメッセージを感じました。
試合はこれも白熱した勝負になり、フルセットにもつれ込みましたが、最後はアメリカペアの老練な技が光り、中国ペアを下しました。試合後アメリカペアは再びボールをスタンドに打ち込み歓声に答え、中国ペアも持っていたタオルをスタンドに投げ入れ、観衆も大喜び。センターコートは盛り上がりのうちにこの日の日程を終了しました。
私がパラリンピックで一番楽しみにしていた種目はなんと言っても陸上男子走り高跳び。日本選手団の旗手を務めた片足義足のジャンパーで、2mの自己記録を持つ鈴木徹選手を見てみたいとずっと思っていました。片足義足で2m以上を跳んだ選手は世界で2人だけでその一人が鈴木選手です。私自身も専門にしていた種目で、鈴木選手の苦労が想像できるだけに、ぜひ応援したいと思っていました。
鈴木選手のコーチの福間博樹先生は私の学生時代からの友人で、走り高跳びで日本新記録を出した選手を2名育てた日本一の走り高跳びコーチです。私たちは久しぶりに北京で会い、観光をしながら楽しく語り合い、オリンピック公園に向かいました。試合前のサブトラックで、金網越しにスタート前の鈴木選手に福間先生が声をかけると、鈴木選手は輝くような精悍な表情で「今日はいいと思います!」と答えていました。ワクワクしながら鳥の巣に入ると、スタンドの前列には日本選手団が陣取っていて、私たちも中に座らせてもらい、一緒に盛り上がりました。
そして、競技開始。鈴木選手は1m81からの登場で、この高さは一回目で難なくクリアー。続く高さもクリアーして行き、1m90の高さにバーは上がりました。一回目リズムを崩してジャンプにならず、2回目は僅かに触れる惜しい失敗で最後の一回のチャンスに追い込まれてしまいました。スタンドからは山梨の実家から駆けつけたご両親、奥様も小さな息子さんを抱き祈るような表情で見守ります。
左から義肢装具製作の臼井さん、鈴木選手、奥様と息子さんです
そして、運命の3回目。鈴木選手がリズミカルな助走からポンと踏み切ると、身体は見事な放物線を描き、バーのはるか上を越えて行きクリアー!!スタンドからは大歓声が上がります。福間先生も大きく手を上げガッツポーズ。鈴木選手へジェスチャーで次の高さへの指示を出しました。今日の鳥の巣もスタンドは超満員の9万人。その中を車椅子リレーで中国チームが先頭を走り優勝。場内割れんばかりの拍手と歓声に鳥の巣がゆれました。ウエーブもそこかしこ起こり、雰囲気はオリンピックを越えるほどの盛り上がりです。
鈴木選手の試合の合間、私は後ろの席に座っていた日本チームの義肢装具製作者として有名な臼井さんにパラリンピックの難しさについてお話を伺っていました。同じ片足といっても膝がなければ運動制限が大きくあること、そして膝から下の骨が何センチ残っているかでも動きは大きく違うこと、現状のルールでは腕のない人と足のない人が同じ分類にされるので、高跳びの場合には義足の人が不利であること等の話を興味深く聞きました。話を聞きながら見ていると、確かに義足で1m90を跳んだ選手は鈴木選手と身長の高いアメリカの選手だけで、他の選手は片腕に支障のある選手ばかりでした。鈴木選手は膝から下の骨が短いため、やわかなゴムで包むようにして空気を逃がして義足を着けるのですが、夏は汗で滑ることも多く苦労するそうです。
バーは上がり、1m93。鈴木選手は滑らかな助走から、さきほどの跳躍を再現するかのように見事なジャンプでこの高さをクリアー!! スタンドも大きく沸き、日の丸の小旗も振られました。そしてバーは1m96の高さへ。鈴木選手の今年のベスト記録は1m95でそれを超える高さです。1回目は義足のアメリカ選手と片腕のオーストラリアの選手がクリアー。鈴木選手は失敗。メダル争いは片腕の中国選手2名と鈴木選手に絞られたようです。そして、2回目に中国の一人の選手がクリアー。鈴木選手は僅かに触れる惜しい跳躍でしたが、2,3回目と失敗し、惜しくもメダルを逃しました。
優勝したアメリカの選手は、義足の世界記録2m11cmをクリアーし、大歓声のうちに試合が終わりました。鈴木選手が今回クリアーした高さは1m93。アテネ大会の時の記録を9cm上回りましたが順位は5位で、臼井さんによると今回の北京パラリンピックは非常にレベルが高いということでした。優勝した選手の身長は1m95で、頭上16cmをクリアーしました。鈴木選手の身長は1m78で今回は頭上15cmのクリアーでしたが、鈴木選手は北京のひのき舞台で世界一の技術を示してくれたと思います。
鳥の巣を出る時、私は福間先生とがっちり握手しました。福間先生は「北京に応援に来てよかった!」と笑顔で私の手を強く握ってくれました。私たちはスポーツがもたらしてくれる、順位や記録とは違った意味でのさわやかな感動を味わっていました。「支援してくれている方々への感謝の気持ちを自分のジャンプで表したい」と話す好青年の鈴木選手があの1m90の3回目。追い込まれた中で見せてくれた目の覚めるような素晴らしい跳躍は、この北京へ賭けた4年間の鈴木選手の思いと応援に来ていたご家族、そして指導している福間先生の気持ちがぴったりとかみ合った本当に素晴らしいジャンプでした。
鳥の巣で鈴木選手の応援の時に私の隣の席で一緒に応援した春田さんは鈴木選手と同様片足義足の短距離選手でした。100mを12秒5で走る春田さんは、今回の北京パラリンピックには惜しくも出場なりませんでしたが、私に競技用の義足やパラリンピックの競技会について語ってくれました。
春田さんはもともとスポーツマンで、膝から下を失った後も、スキーも普通に楽しめるぐらいになっていましたが、臼井さんから競技用の義足があることを知り、陸上競技を始めたそうです。
写真は春田さんが普段つけている義足で重さは2.5Kgあり、結構重いです。製作者の臼井さんの話では、人間の足だとこの部分で5Kgはあるそうで、足よりは軽いそうですが、筋肉がないので使う人にとっては相当重く感じるでしょう。春田さんはこれを装着したての頃は棒のように感じたそうですが、今では足の大きさの感覚もあるほどで、話を聞きながら私は人間の感覚の回復の素晴らしさに感心しました。
走る時には鈴木選手と同様のグラスファイバーで出来た特殊な義足に代えるそうです。その価格は80万円くらいするそうですが、補助金もあるそうです。しかし、驚いたことに今話題の南アフリカのピストリウス選手の装着している義足は数百万円するそうです。臼井さんの話だと、彼は膝から下の骨が長く残っているようで、強力な力を発揮できるのではと言うことでした。いずれにせよ、選手達は競技用を装着する時にはあのバネのような構造の反発をうまく使えるように工夫し、その動きが身につくには相当の努力と時間が必要だということです。
義足での生活は、慣れてくると日常生活にはほとんど支障はなくなってくるようです。しかし、足の裏のように柔らかく対応できないので、石が一つ転がっているだけで、踏んだ時にそれが支点になりバランスを崩すことがあるそうです。お話を聞いていると、隣に座っていた理学療法士をされている奥様も話しに加わってくれ、リハビリの方法や今後必要な用具などについても話をしてもらえ、とても勉強になりました。
写真 左が春田さん 右が臼井さん
オリンピック、パラリンピックともに日本のメディアはメダルの数を中心に報道しているようですが、中国のメディアはその背景にある技術やルール、歴史等を時間をかけて放送しています。特にパラリンピックについての報道はとても多く、毎日生放送と録画でほとんどの種目を伝え、車椅子をこぐときの有効な力の入れ方なども細かく解説しています。このような、地道な報道も各スタジアムを満員にして盛り上げることにつながっていると思います。
話を聞きながら、私はコーチの皆さんと選手との関係はオリンピック以上にパラリンピックは暖かいと感じました。選手たちがひのき舞台で最高のパフォーマンスを発揮できるように支え、その支えを全身で感じ、全力でがんばる選手達。それを見守り応援する家族や職場の皆さん。パラリンピックの日本チーム応援席はスポーツの本来持つ素朴で純粋な心で満たされた素晴らしい空間でした。皆さんの話を聞く中で、私自身もいつかパラリンピックのアスリートを支えるような研究をしてみたくなりました。